洞口は沖縄県島尻郡具志川村字兼城港 南側沖約1kmで、陸地からなだらかに沖に向かって深くなってくリーフがあり、リーフ全体が水深12~13mから急激に深くなるドロップオフの底で、水深35mに開口するため、発見者であるダイビングサービス久米海秀友寄
秀光氏のプレジャーボートを出していただき、洞口上のリーフ水深13m付近でアンカーを打ち、ダイビング機材を使って入る。
-35mと深いこととケイブダイビングというスタイルなので通常レジャーで行われている機材以上のケイブダイビング機材の装備を準備して入る。幅5m、高さはタンクを背負ってやっと入れる狭い洞口からN30Wで奥に伸びており約15mほど進むと人が立てるほどの高さになり、泳ぐ水深はあまり変わらず、徐々に高さが広がりながら大ホールと呼んでいる(100m~130m付近)広い空間にでる。
全体的な幅は広がりながらではあるが狭い地点もあり、奥に続いている。大ホールでは天井が水深32m、底が水深38m、最大幅は40m程度になる。大ホールから330度方向に、高さがタンクを背負ってやっと通れる程度の場所を3mほど過ぎると高さ2m程度になり、幅は3~5m程度になる洞がさらに奥に伸びている。
この付近から二次生成物がかなり多くなりカーテン状のものをよけながら洞の高さ2m程度になり、幅は3~5m程度の空間で奥に続いている。180~190m付近ではさらに通路を阻むような形で2次生成物が多くなり幅はやっと人が通れるような隙間を縫いながら奥に続いている。(カクの迷い付近)。ガリガリと名付けた200m地点では奥行き1mの程度であるが、幅、高さともタンクを背負ってやっと通れる場所があり難所とされ挟まって体の体勢によって身動きとれなくなることもある。
この地点より奥は洞の方角は測量できていない。平面概念図は、そこを通ったダイバーによる記憶で記入した。
そこからはとくに2次生成物に進路を阻まれることなく高さ1.5mから3m程度、幅は5mから10m前後の洞が続いている。270m超え付近にはサトーサークルと名付けた洞の中心に大きな岩状の柱?がある。
300m付近ではなみよいのぬか喜びと名付けた目測幅15m、高さ3~5mほどあるホール状になっており、奥に向かって左側の底がやや左奥に向かって深みになっている。底の構成は白い細かい砂状の沈殿物である。
突き当たりかと思われたが右を見やるとさらに洞は奥に伸びていた。奥行き360m付近の水深は34mであった。(以下、加来報告)
360m付近から奥に向かって底が盛り上がり天井との差が少なくなり383m付近では水深26mで天井との間は1m程度である。底の構成は白い砂状の沈殿物であり、洞口からこの地点までラインを張ってある。奥を見やるとこんどは逆に天井との差も広がっていきながら深くなっていたとのことである。
ダイビングコンピュータデータダイブログ 関藤分
(使用コンピュータ:1・2本目ダイブライト ナイテックⅢ 3・4本目アイレBUGナイトロックス)
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1本目
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2本目
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3本目
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4本目
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年月日
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2000・11・6
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2000・11・6
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2000・11・7
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2000・11・7
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潜水開始時間
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9:55
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15:34
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潜水終了時間
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16:24
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潜水時間
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50分
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最大水深
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38.6m
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最大水深時水温
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24.5℃
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潜水種類
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減圧潜水
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減圧潜水
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減圧潜水
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減圧潜水
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使用ガス
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空気
EAN80
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空気
EAN80
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空気
EAN80
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空気
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バディ及び
チームメンバー
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橋口
関藤
薮野
川嶋
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川嶋
松本
橋口
関藤
薮野
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松本
関藤
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松本
関藤
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活動最奥距離
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150m
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230m
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360m
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カバーン
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久米島海底鍾乳洞『秀ん家ガマ』
※下図は1999年6月時点のデータです。近日中に最新データに更新予定。
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測量方法
ダイブライト製のリールを使用した エクスプローラーリールにまいているライン全275m(カタログデータ)に10m事に目印を書いた。ラインへの記入方法はコンクリートブロック2個を、10mの間隔で2箇所置き、それぞれを往復しながらラインをはり記入した。ブロック分の若干の誤差はブロックを置く位置とタイオフ(ケイブ内でのライン巻きつけ)もある程度予想して多少調整はしたもののやはり多少の誤差はある。10mでは細い黒線1本、20mでは2本、50mで太い線を1本。
60mでは太線と細線1本というふうに。100mでは細い赤線とした。下記参照
10m
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20m
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30m
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50m
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60m
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100m
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130m
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160m
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240m
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270m
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■
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I I ■I
I
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→洞口 |
測量図(概念図 近日中に最新データに更新予定)にあるライン1及び3は上記記入したエクスプローラーリールから残ったラインの長さ及び残った上記記入線から逆算してケイブの長さとした。
ライン2は、セイフティリールのライン全43mとしたカタログデータを前提として 残ったラインの長さ(7m)から36mとした。
洞口部のNOライン部分(洞口より第1ライン)は、メジャーで測った。
第一ライン最終部から第二ラインのNOライン部は現在のところ目測である。
奥に向かっての左側黄色ラインは、測っていない。
よって
洞口から第一ラインまで16.5m
第一ライン103m
第1と第2の空白部目測10m
第2ライン36m
第3ライン108m
合計273.5mとした。(多少の誤差を考慮して発表は到達270mとした)第二次調査
今回の第三次調査では前回到達した
270m地点から第4ライン19m
289m地点から第5ライン70m
360m地点から第6ライン24m
とし、合計383mとした。
★第4ラインおよび第6ラインは佐藤・加来チームのセイフティリール(カタログデータ43m)を使用し、最奥部にそのリールをすべて伸ばした状態でタイオフせずに置いてある。
★第5ラインは関藤のエクスプラレーションリール(実測280m)とし、前回調査で使った残りが210mであったのを最後まで使ったので70mとした。
★加来の報告によると最終ライン設置場所より目測で15m以上は下に向かって見えていたので洞自体の直線距離は400m近くあることになる。
★第2次調査時にラインを張っていない第1ラインと第2ラインのNOライン部分は今回ラインを張ったが測量は出来ていない。
★矢北の地獄スルーとよばれる支洞は40m程度あることが判明し第2ラインのスタート地点からジャンプせずにT字に矢北地獄ラインが伸びておる状況でカーテンから間違ってガリガリ方面に行かず矢北の地獄方面に行ってしまう恐れがある。矢北の地獄スルーはホールと双子岩手前までつながっていることがシーズンの矢北チームによって判明したが高低差が非常に少なく、スタックする恐れが強くまたシルトをかなりまいてしまうのでとても危険だとのことである。
★70m付近の通称"ひでちゃんスルー"(15m程)と呼ばれる支洞は矢北の地獄と同じだとの報告もあるがやはり別にあるとの報告もあり今回名付け親の永田(ひでちゃん)が不参加だったこともあり情報が混乱している。
★仮りにひでちゃんスルーの15mが別にあるとして、矢北の地獄の40mと40m地点の一部支洞5m(目測)、同じく40m地点のケイブ内アーチ10m(メジャー使用)、大ホール部直進部の支洞120m付近の支洞5m(目測)(5mほど行った先は人は通行不可であるが奥に伸びている)、一部竪穴(永田確認)、などの支洞を合わせると、60mとなり総延長距離を発表するなら久米島海底鍾乳洞ヒデンチガマは現在457mとなる。今後の調査で距離が伸びるのはほぼ間違い無く直線距離でもまだまだのびるであろう。
★第2次調査で発見した200m越え付近からの支洞らしきもの(目測5m以上)、については今回調査しなかった。
★ ガリガリ超えあたりから奥に向かって右側は壁が見えているが左側は壁らしきものが所々みあたらず支洞があるような雰囲気である。
洞の方角
大ホールの入り口(洞口より100m)までは、2次調査時に永田が測量した。
水中コンパス・メジャーを使用した。
白ライン(第一ライン)の伸びている方向を測った。
洞口から20mまでは30度方向(N30W)
20mから45mまでは60度方向
45mから53mまでは30度
53mから大ホール入り口までは330度
二重カーテンから第二ライン270m付近まで330度
第3次調査では270mより奥の方角については正確な測量はできす、マップはケーブダイバーの記憶にのこった方角でしかない。
今回の第3次調査では、ケーブ内調査中のダイバーの呼気を別のダイバーがリーフの上で泡を追いかけオープンウォーター環境のリーフ上でラインを張った。恐らくカーテン付近までを張っている。リーフはすべて平らではなく洞の上はなにか溝状に落ち込んでいるようである。
次回の課題
矢北地獄へのラインをメインラインよりジャンプさせる。
深部進入チームが調査中にリーフ上で泡を追いかけラインをはりケーブの方向を確認する
第2・第3の洞口がないか調査する。 距離を延長する
生物調査
このヒデンチガマで発見された新属新種のカニは計4箇所で確認された。
★洞口から50m付近のアーチ越えあたり
★洞口から120m付近の大ホール直角ライン奥の壁沿いの棚の上(飯島氏が撮影に成功)
★洞口から230m付近のライン付近で1個体(川嶋氏が採取→後にアーチ付近にリリース)
★洞口から230m付近のライン付近に1個体(川嶋氏が採取した後で別個体を同じ付近で関藤・松本発見)
★300m付近で3個体ほど、ヒルのようなミミズのような赤っぽい生物?を発見。直径5mm程度、長さ7-8cm。手で触るとすぐに形がくずれるが、バラバラにはならなかった。
その他、確認生物 別紙 久米島海底鍾乳洞合同調査研究会発表
第3次久米島海底鍾乳洞探検調査
2000年11月5日、約1年ぶりに久米島空港に降り立った。ヒデンチガマ発見者の友寄さんの奥さんや久米島のダイビングサービスのスタッフの方々が空港まで迎えに来てくれていた。(ありがとうございます。)今回は総勢16名という集団で久米島におしかけ?たのでマイクロバスを手配していただいていた。多分頭の中はケーブのことでいっぱいだったんだろうが、なるべくケーブの事は考えないようにしてバスに乗り込み、せっかく大型免許を取ったんだからうちもこんなバスがほしいなあ、でもこんな大きなバスを入れる駐車場がないわ。。。などとケーブ以外の事を考えることにした。前人未踏のケーブ奥に突入するというストレスはなるべくためないように。
"そろそろ久米島に行こうよ"今回の久米島行きもテクニカルダイビングの指導団体であるTDI会長の佐藤氏が"言い出しっぺ"であった。テクニカルダイビングが大好きなのかTDIを立ち上げたものの長い間テックダイビングの活動をしないのも変であると考えたからかどうかは知らないけれど、とにかく会長が言い出しっぺであった。テクニカル機材メーカーダイブライトの社長である安原氏もこれに同調し、第3次久米島海底鍾乳洞探検調査研究会が組織された。
トゥルルルル・… 遅くとも3回までのベルで電話に出ろとサラリーマン時代に教わった電話が鳴った。
"TDIの雑誌広告を見て電話させていただいたのですが、100本ほど潜った経験はあるのですが私にもできるかどうかお聞きしたいと思いまして…"
テクニカルといってもナイトロックスや減圧手順などある程度簡単に出来るものからケーブダイビングで前人未踏の部分に突入するハイリスクなダイビングがありますだとか、TDIではヘリウム潜水もしているとか久米島海底鍾乳洞で探検調査をやってるだとか結構電話でいろいろ話していた。"ケーブダイビングするのならダイビングのレベルもかなり要求されますけど私は、バディとの信頼感というのがかなりいると思っていますので、飲みにでもいきましょう"とかおよそお客さんが始めて電話してきたら"このイントラは何を考えてるんだろう?"と疑われそうなこともいいながら、徐々に話は盛り上がっていった。
実は私、薮野というものでカメラマンなんです。MBSの。だから仕事でいろんなところ潜ったりしてるんですと。ロシアのナホトカが沈んで油まみれの日本海も潜ったりとか、何でカメラマンになったかというと"川口ひろしの探検隊"のカメラマンになりたかったからだとかもお聞きした。川口ひろしの探検隊のカメラマンというと、
"いよいよ人類未踏部分探検隊が突入します"とかいって 探検隊より先に入って奥でまってるあのカメラマンじゃないですか!などと冗談も交えながら。
実はまったくプライベートでそんな探検とか技術の向上とかをはかりたいと思っていたのですがTDIの活動の話を聞いていると仕事としてもやりたくなってきました。カメラマン根性がでてきました。ということであった。
テクニカルダイビング、テクニカルの講習は別として、しかもそれが探検だとかのレベルになると正直お客様とスタッフという関係ではあまりできるもんじゃないというのが私の持論で、完璧なオウンリスク、しかもお互いの"信頼感が完璧なバディ同士"じゃないと危険になると考えているので、別に電話でテックダイビングができるかとうかの面接をするつもりはないけれど、薮野カメラマンのテクニカルダイビングに対する考えは それはすでに探検派テックダイバーと言える立派な意見であった。
じゃあ、久米島の鍾乳洞がまずは目的として紀伊大島にもケーブがありますからそこでケーブの講習しましょうか。
私には今回の久米島ではいくつかの思いがあった。
★海底鍾乳洞日本最大のヒデンチガマのさらに奥を解明し今まで海だけでない山の中にある水中洞窟のサンプ部分も含めた山口県の秋吉洞で西日本洞窟潜水協会が突破されたサンプ(水没)部分の320mという水中洞窟部分の記録をできればやぶり、久米島海底鍾乳洞ヒデンチガマを日本最大の水中洞窟にしたい。
★圧倒的にエアー消費が私より少ないうちの女性スタッフである松本をフロリダにトレーニングに行かせたが久米島は潜ってないので彼女自身の希望もあり未踏部分に行ってもらいたい。
★そのバディには前回の久米島調査でサポートに徹して活躍してくれたうちのダイブマスターの橋口にも活躍してもらいたい。
★紀伊大島での講習を終え、川口ひろし探検隊のカメラマンになりたかったからカメラマンになったけれどなかなかそんな取材がないとぼやく?薮野氏の夢を叶えてもらいたい。
自分自身が一番奥に到達したいという欲望は今回はほとんどなかった。いや、ないようにしようと努力していた。
第二次調査で270m到達したのはいいが洞口までの帰りにシルトとエアー消費が気になって半分パニック気味に帰った記憶がそうさせていた。
久米島の村議会議員である上江洲先生が来られ地質学的な説明をしてくださった。 以下、メモ書きである。
150万年前2500~3000m級の山脈であり慶良間諸島・久米島は地続きであったが沖縄本島は海底であった。本部半島はコセイソウ(1億~2億年前)に海底にたまった石灰岩。首里城周辺は石灰岩、それらが隆起して本島になった。本島が隆起すると久米・慶良間は沈み現在は以前の山脈の頂上が残った状態である。
2万年前の海水面は現在の水面下140mで下地原人(2万年前)の赤ちゃんの人骨(化石)と2種類の鹿の骨の化石が久米島にある陸上の鍾乳洞から発見されている。鍾乳洞はこの時代にできたものと考えられる。
また20年ほど前に2万年前の港川人の人骨が糸満市ででてきたこともあり、港川人と下地原人の関係があったとの説もある。
久米島は5000万年前に島の南側で海底噴火があった、また300万年前にも地上噴火があった。 この海底鍾乳洞の300m付近から溶岩のような地形があったとするならば、ひょっとしてそのときの噴火の時に出た溶岩をみたのかと説もたてるかもしれない。
など、いろいろ説明してくださった。
地質学のことは興味があるが勉強したことがないので、これからの自分の課題でもあるかもしれない。だけど純粋に奥にいきたい楽しみたいというのが先行してしまっている現状である。
中には奥に行くだけだと意味がないと言う方もいらっしゃるが楽しいものはしょうがない。
琉球大学の木村教授に久米島海底鍾乳洞で採取した第2次生成物を鑑定していただくと1万3000年前ぐらいかとの返事をいただいた。 久米島の陸上にある鍾乳洞から2万年前の化石がでてきたことからやはりこの時代にできた鍾乳洞であるとの説もたてられ、ゆっくりと時間を掛けながらできた第二生成物が1万3000年前であるといえるかもしれない。
そうするとひょっとして、新たな化石が発見されるかもしれない。
それがもし今まで想像しなかったものであるなら、世紀の大発見があるならば… 夢は膨らむ一方である。
空港に到着後、発見者でもある友寄氏のサービス久米海秀に送ってもらうと、たいそうやっかいで重たいケーブダイビングの機材のセッティングとともにチーム分けがミーティングされた。
安原氏チームがケーブの講習、矢北氏チームが体験ケーブダイビング、佐藤会長&加来氏チームが深部進入、関藤チームが松本、橋口、川嶋氏そして撮影班であるMBSチームでできれば深部進入するという計画を立てた。
それぞれのチームが計画を立て、それぞれの目的を達成するために日本最大の海底鍾乳洞であるヒデンチガマに挑むことになった。
3泊4日の滞在であるが、ケーブにアタックするのは中2日だけである。
川口ひろし探検隊のカメラマンになりたかったからカメラマンになった薮野カメラマンは、仕事の都合で明後日には大阪に戻らないといけないので、夢を叶えるならば明日しかない。やや緊張気味の関藤チームに佐藤会長から長身の薮野氏に"背が高いね~、薮野さんだったら一番奥までいっても足の先が洞窟からでてしまうよ"とオヤジギャグにしては笑ってしまうギャグを飛び出させ、場を和ましてくれたりした。(笑ってしまう自分自身もおやじ化してしまったのか?)アメリカ生活が長かった加来氏もたまにはアメリカチックでついていけないギャグを飛ばしながらも決して弱みは見せないその存在はギャグとともに健在であった。
前回調査で初の240m地点到達を加来氏と、そして最終の270m地点到達を佐藤会長とバディを組んだこともあり、それぞれのケーブダイビングを行う時の習性?についてはわかっているつもりなので、今回もその行動には興味があった。
フロリダでテクニカルのトレーニングを行う一日目からどうやら二人は意識しないふりをしながら意識しているもの同士であるように私には思えている。沼のような薄気味悪い水面全体に藻が覆い被さる真っ暗なポイントでディープ講習を行うことになった初日、機材ならしのための軽いダイビングのはずなのに、バディを組んだ二人はいきなり50mほど潜っていたことを私は知っている。
かたや日本を代表するダイビング指導団体JCSの会長でありCMASの4スターインストラクター、かたや指導団体のPADIのトップクラスステイタス"コースディレクター"の肩書きをもつ。
二人ともこやつには負けられないという意識が絶対どこかにあるように思える。特にダイビングのことに関して一度言い出したことは、絶対に譲らない。
もちろん私を含め同じTDIのインストラクタートレーナー同士であるので仲はとっても良いが。
私は、大阪に生まれたからかどうなのかわからないが"カッコつけ"はあまり得意ではない。意地とか見栄とかもイントラであるときには必要な事もあるが、精神的にも無理をしてはいけない今回のようなダイビングの前には、私にとっては無用であるし意味がない。
スマップの木村拓哉はサーフィンが好きなようであるが、海から上がって車にもどりウエットスーツを腰まで脱ぎおもむろにボンネットの上に腰掛けギターを引き出したと大阪の芸人から聞いたことがある。それは絶対にかっこいいだろうし、似合っているんだろう。きまっているんだろう。でも、もし大阪にそんな人がいると"なにかっこつけてんねん、わはははは"と あほちゃうかあと笑われるにきまっている。大阪から木村拓哉は生まれない。。。。。
そんな風土が私を作り上げたのかもしれない。硬い事は堪忍してやー。。。。。 気楽に行こう。
一本目は久米島がはじめての松本貴美枝もいるし、薮野氏もいる。一本目から深部進入をしようかとも思ったが佐藤会長のアドバイスもあり、ならしの為に気楽に行くことにした。一番奥までいってもガリガリまで、そして1/3ルールで。私は前回ジャンプさせている第1ラインと第2ラインのNOライン区間にラインをはるのが目的であった。そして撮影、TV報道という至上命令を持った薮野氏が、まずは中を潜ってる女性ダイバーである松本の映像をとりたいということもあったので、トップは関藤、2番手に松本、3番手にカメラマン薮野氏、そのサポートに川嶋氏・橋口というフォーメーションになった。
14リッターWタンクで1年ぶりに水深35mの洞口に降り立ちバディの調子をみながら奥に向かって入っていった。
寝不足と想像していたより狭い洞口、そして窒素酔いが起こり松本は洞口から20m進んだところで親指を立てた。洞口に戻るのサインだ。了解、OKだ。洞口まで見送りOKとのことだったので松本を除いた全員で再度奥にすすんだ。薮野氏も調子が良さそうである。何度も振り返りながらみんなの調子をお互いに見ながら奥にすすんだ。
"ごめんね、薮野さん、きみちゃんの映像が押さえたかったはずなのに目の前が私で…"とも思いながら"まあそれもええか"とカメラの前で軽く窒素酔いを感じながら泳いでいた。課題の場所にラインをはりだし、あと1mでタイオフできるのにラインが足らない。。。使いさしのラインを使った罰だ。もうひとつのリールを出し、ラインをつなげタイオフをし、NOライン部分にラインを張った。これで安心だ。そしてさらに奥を目指す。薮野氏もOKだ。
"加来の迷い"付近でブブーとブザーの音。薮野氏が1/3のエアーを使い果たし振り返るとエアー切れのサイン!ギョッとして残圧をみると130気圧。1/3のときは親指を立てたらいいだけですぜ兄貴、と思いながら、OKのサインを双方出し合い洞口へ戻っていった。窒素酔いのためか、空になったリールをいつのまにか置き去りにしていたが橋口が拾ってくれていた。さすがはっちゃん、歯の治療も完璧だしね~と感謝の気持ちでいっぱいだった。
今まで前歯がぼろぼろで歯(は)がなかったので "しぐち君"であったが今は歯がある"はしぐち君"がリールを持ってニコニコしながらそこに居てくれた。
松本の映像をおさえるという以外、一番奥に行ってもガリガリでそこに行くまでにも1/3になったら戻る、NOライン部分にラインを張るという計画どおり目的は達成できた。
ナイトロックス80%減圧タンクを吸い、船に戻ると、進入後すぐに親指を立てたことを会長に悟られまいとしている松本がニヤニヤしながらちゃんといた。そういえば会長はケーブで親指を立てたことがない。怖くないのか、出すのがかっこ悪いのかはわからないがとにかくいつも誰かが親指サインを出すと、あとでおかずにされる。以前大分県の稲積水中鍾乳洞で私が出した時も、あとの談笑会でおかずにされた。いやこれからもずっとされるだろう。
別にイヤミも何もないが、ケーブダイバーの伝家の宝刀親指サインは重要なサインであるが、会長は出したことがない。サインを知らないのかな?とは思ったことはない。
こんなことを書くと会長のことだからますますサインは出さないかも知れないが。ま、いいか。
松本は後におかずにはされたが、思ったより窒素酔いがあってびっくりしたとのことであった。 私はけっしておかずにはしなかったが、エアー消費の少なさから会長・加来氏・私より松本と歯のある橋口が一番奥までいける実力の持ち主であると思っていたので、心配しないように、ストレスがたまらないように雰囲気を和らげるように努めた。
会長は潜る前にみんなに向かって、奥に行ってもガリガリ(200m)までにすること、一本目は機材の調子を見るためだからね。といっていたのに、加来氏と二人でガリガリを超えて240mプレート(実際は250m地点にある)までこっそり行っていた。
あとで加来氏に聞くと、佐藤さんはエアーたくさん吸って一緒にもぐるのは大変だし会長はかなりあせっていたよとこっそり教えてくれた。 会長に聞くと、加来さんと潜るとシルトを巻かれて死ぬぞ、あいつはかなりあせっていたとこっそり教えてくれた。
(のちに松本は"カクさんと会長のあとを潜るとシルトを巻かれてエアーがなくなって死ぬぞ"に書き直したら?と笑いながら真剣に言っていた) 仲がいいのか悪いのか、どっちが本当なんだか、
実は二人ともあせっていたんじゃないのとも思ったけれど、でも船にあがると二人ともお互いに絶対弱みはみせなかった。 まあ、お好きなように。
こういう人たちがあっさり死んでしまうのか、結局は図太く生きるのかは神様じゃないからわたしにはわかりません。
浮上後10分ぐらいして左ひじが痛くなってきたので"あれれ?減圧症かな"と思ったりもしたが、きちんと減圧停止もしたので多分違うなとは思ったけれど、船の上に減圧タンクである80%も酸素が入っているナイトロックスタンクが転がっていたので、それを吸いながら港に戻ると痛みはすっかり消えていた。きっと気のせいでしょう。気楽な性格は時には得をする。
前人未踏部分突入(深部進入)はどうやら明日の1本目がよいのではないかという思いがこみ上げてきた。今日の午後だと、その日の2本目であるので減圧時間が長くなってしまうということと、うちのエースである松本が一本目には入り口近くでだけで戻っているのでケーブ全体の把握ができていないからというのが理由である。
前回、佐藤会長・関藤で行った270m到達時にはそれぞれサポートダイバーのオクトパスをもらいながら洞口まで行き270mまでいって帰ってきたので、午後のダイビングでは同じようにサポート隊のオクトをもらいながら洞口まで行くことになった。前回到達の270mまで行くことを最終目的に決め、松本のサポートには沖縄で現地サービスを営んでいる大原氏、川嶋氏にはMBSの助手を努める速形氏、橋口のサポートには安原氏が名乗り出てくれた。
薮野氏と私は、松本の映像をおさえる撮影が目的であったのでサポートはなく、よく行っても240mプレートまでにすることにした。いずれにしてもおなかとタンクがガリガリ擦ってしまう200m地点のガリガリ超えである。調子が悪ければいつでも誰であっても遠慮なく親指を立てて全員で戻るというのが最重要であるとして計画とコミュニケーションをとった。サインをだすのが怖さからでた気分であろうが、エアーからでようがそれはそれでいいとして。奥にいくのが一番の目的ではなくてきちんともどるのが一番の目的であるとして。
サポート隊と洞口までゆっくり行くと、松本、橋口、川嶋氏、薮野氏、とともに調子がよさそうであった。全員と目を合わせ確認をするとみんな調子よさそうで目をキラキラさせている。これならいけるかな。薮野氏にはサポートがつかないはずだったのにサポートのオクトを吸いながら洞口まできていた。進入は川嶋氏、橋口、関藤、松本、薮野氏の順番である。薮野氏は松本の映像を押さえるのが目的で松本の映像を押さえながら関藤がサポートして(大したことはしてないが)240mプレートを目指す。エアーの長い(空気消費量が少ない)川嶋氏、松本、橋口は明日の深部進入を目指した最終調整であるので270m地点を目指した。薮野氏はきっとこういうのがしたかったのかな思いながら見るとどうやらきちんと映像は押さえているようである。さすがプロカメラマンである。
チームみんなのコミュニケーションを取りながら双子岩、次に大ホール、カーテンを超え、加来の迷い、ガリガリを超え、230m付近まで来たときに松本に確認するとかなり調子がよさそうで奥にいけるか?と聞くとニコニコしながらOKサインが帰ってきた。松本に私を追い抜かせ、自分のエアー残圧を見ると1/3近い135気圧になっていた。藪野氏はまだサインはださない。あ、そうか俺だけサポートがなかったから減るのが早いのかと自らサインを出し、帰路についた。
帰りのガリガリであれ?ちょっと太ったのかな?の以前よりガリガリさせながらそれを超えると次は薮野氏である。
振り返り薮野氏を見ると、ガリガリー、おおっ!ひっかかってる!ひっぱりだそうかと思っているとスルスルと無事に超えてきた。が、予想より長く足先が見えるのが遅かった。さすがに長身である。やっぱり長い。お互いOKサインで確認すると大きくうなずきながらカーテン・ホールへと向かった。残圧も十分にあるし、ホール天井のシャンデリアも映像に押さえてもらおう。シャンデリアを指差し、撮影に没頭する薮野氏、リュウグウモエビも登場してくれた。比較的のんびり、楽しみながら帰ってこれた。
洞口にでて、薮野氏と二人であとの3人が戻ってくるのを待っていた。減圧時間も気にはなったがきっとケーブから出でくるシーンを押さえたいだろうと思ったからだ。しばらくして3人のライトが見えた。薮野氏はカメラを構えている。OKのサインをライトですると洞窟奥からOKが返ってきた。ほっ。
川嶋氏がビニール袋になにか入れて手にもっている。高々と手をあげ、カメラの前にそれを持ってきた。おお!新種のカニではないか!すごい!何でビニール袋を持っていたのかわからなかったが、とにかくそれはあきらかに新種のカニであった。
橋口も松本も無事にでてきたので、ダイビングコンピュータが指示する-12mの減圧地点まで行こうとすると、みんなが上がっていくシーンを撮影している薮野氏の姿が-35mにあった。プロ根性というか、さすがというか-12mからの減圧停止警告指示が出てるのにかかわらず、映像に押さえるその姿の後ろには、プロカメラマンのオーラが見えるような気がした。プロの取材班でガリガリを超えたのは薮野氏が日本ではじめてである。感動でみんなと握手しながら-12m地点まで行き、-9m、-6m、-3mと減圧をコンピュータの指示どおり行い船に戻った。
よし、明日はいけるだろう。確信が自信に変わった。というのは西武、松阪投手のパクリである。
結局は川嶋氏のサポートが洞口までなく、そのサポートが薮野氏についていたこともあり、またカニを240mプレート付近で発見してしまったばかりにそのプレート地点まで行って帰って来たようである。あとで聞くとカニを発見したときにポケットに入れていたビニール袋がポケットの一番奥に入れていたせいで入り口近くまでポケットをごそごそしながら手で大事にカニを持ちながら帰ってきたそうである。仙人のような風貌でポケットをごそごそしながらカニを持ってケーブを帰ってくる川嶋氏の行動を想像すると結構笑えた。
2本目の目的であったことはほぼ計画どおりに出来た。奥にいっても270m、それ以前に1/3になったら帰る。松本・橋口の調子をみる。薮野氏のガリガリ越えでの撮影、松本のケーブ内での撮影。。。。。
気になる会長・加来チームは、奥にいっても270m地点までだぞ、明日が深部進入だぞといっていたのにかかわらず、ステージボトル(3本目のタンク)を脇に抱えて、二人で19mほど新たな未踏部分の距離を伸ばし帰って来たようである。うそつき。。。
しかし、成果もあった。
まず前回調査で奥が左右に分かれているように思っていた285m付近はサークルになっており左に行くと元に張ったラインが見えたとのことであった。そこをサトーサークルと名付けた。元のラインが見えたので引き返して右に行き、数m伸ばしたところで帰ってきたとのことであった。またステージボトルをつけながらガリガリが超えられるかどうかを試したということで、一人はガリガリを超えたが一人はガリガリの手前で置いておき距離289mまで伸ばしたようであった。二人はご満悦の様子である。そりゃそうでしょう。うれしいに決まっている。少しだけくやしさもあったけれど、ケーブが伸びたことのほうが私にはうれしかった。
面白いのであとで一人づつ潜ってる様子を聞いてみた。 佐藤会長は、俺は余裕なんだけどカクさんがあせっていたみたいだよといっていた。 加来氏に聞くと、俺は余裕なんだけど会長がはやく帰りたそうにしていたといっていた。
はいはい、大先輩殿、ご苦労様。
直線距離300mは目前である。 私には計画があった。日本人初の女性ケーブダイバーである松本と二次調査では実力があるにもかかわらずサポートに徹してくれた橋口が前人未踏部分に進入しその先を解明し、記録をだすことである。元々はうちで一からたたき上げたダイバーなので彼らが記録をだすのもインストラクターとして冥利につきるものである。彼らもできれば行きたいと希望していた。
関藤・佐藤氏・加来氏よりエアーの消費量が圧倒的に少ないこの二人はエアーの持ちさえ考えれば400mはいけると確信していた。本人たちも言っていた。
しかし、ケーブでは何がどうなるかわからない。いきなり妙な考えが頭をよぎるとエアー消費の増大につながるし、だれも行ったことのないところを進んでいくわけだから何がどうなるかなんてわかるものではない。ケーブ内でもしマイナス思考に陥ったらそれは危険なものになる。だから常にプラス思考、いや、緊張というよりケーブを心から楽しみながら信頼のおけるバディと行くというのが結果的に距離をのばせる要因であると考えていた。
プロ取材班ではじめてガリガリを超えたケーブダイバーである薮野氏に"どうですか?このダイビングは。レジャーダイビングの範囲を超えてるでしょ?"と聞いてみた。薮野氏は"これはすごい、絶対にレジャーの範囲は超えている、これは簡単に人に勧めたらダメですよ"と自分の事は棚にあげて答えていた。"けっして安易にできるもんではないので誰にでも勧めるわけにはいきませんよ。でも目の前にうちに電話を掛けてきてガリガリを超えた人がいるんですけどね~、しかもカメラも持って"と薮野氏の方をみやると、あはははと笑いやはりご満悦の様子。ケーブダイビングをすると自分だから行ける行けたんだと考える人がTDI以外にもいる。そういう意味でもやっぱり特殊なダイビングである。だけど安易には手は出さないほうがいい、やはりそんなダイビングでもある。
ばっちりコミニュケーションも取れた薮野氏ではあるが、明日飛行機で帰らなければいけないので明日は潜れない。精神的にも体力的にも性格的にもいいケーブダイバーであろうが残念である。薮野氏とならうまくいけば一緒に300m超えはできるであろうに。川口ひろし探検隊ではないけれど、前人未踏部分に撮影しながら突入できるであろうに。距離が伸びれば伸びるほどそれは難しくなるのである。
しかし今回の参加者は全体的なレベルが上がっているのか、結構簡単に240m付近まで到達している。第一次調査のときには苦労しながら170mまで、第2次調査の時には本当に苦労しながら270mまでラインを張っていったのに。ラインが張っているとやっぱり楽なんでしょう。また会長・加来氏がオヤジギャグを連発しながら、ケーブなんて余裕余裕という言ってるのがひょっとしてみんなのリラックスにつながっているかもしれないと考えると、この二人の行動や発言も私たちにとってやはりとても重要な人たちなんだろう。 ……と"むりから"いえるかもしれない。
その夜のミーティングで、どうするか?をみんなで相談した。それぞれにやりたいことを確認すると矢北氏チームはどうやら支洞を発見した様子でそこを調査したいとの事であった。安原・大原・小嶋氏チームは測量、佐藤・加来チームはだんぜん深部進入・関藤・川嶋・MBSチームも当然深部進入であった。
安原氏がみんなでホールまでのもっとわかりやすいラインをはろうと言い出したが、佐藤会長がそれは安原さんがやればいいとすぐに却下。 どうせ奥まで目指すのならトップダイバーを決めてあとはサポートダイバーになればいい記録がつくれるんじゃないかとの意見もでて、そうなることになった。
じゃあ、だれがトップダイバーなのかという時に、私としては松本・橋口・川嶋氏がトップダイバーであとはフォローにまわったらいいと言うには言ったが、俺が行くよと佐藤会長・加来氏の意見に押されすぐに消えちゃった。おいおいじゃあ川嶋氏はもとよりうちの松本・橋口はどうなのか、というと、奥に行くのか行かないのかと二人が松本につめよる。松本としては、そんなの気分しだいでわからない、行けたら行くけど、と理論武装派の二人にそんな意見が通じるわけがない。いくんだな、じゃあステージボトルを2本持ってその2本が空になったら背中のタンクで行けるとこまで行って帰ってこようという計画であった。
ちょっと待ってくれ、どういう1/3の計算をするのですかと聞くと、ステージボトルを2本吸ってなくなったら背中のWタンクを吸って奥にちょっといくんだよという。
いつの時点で帰ってくるのかというとステージボトル10リッターx200気圧x2と背中のWタンク14リッターx200気圧x2本の合計の1/3だという。そう聞くだけでも計算が嫌いな私にはやっかいである。
じゃあ、背中のタンクが何気圧になったら帰ってくるのですかと聞くと計算すればいいだけだという。
単純に考えてステージボトルが空になるまで奥にいって背中のWタンクを吸い始め、その残圧が1/3まで吸うとそれは行き過ぎである。もしそうなって2本目のステージボトルが空になる地点までもどって来たときには後ろのタンクは残り1/3であり、最後の1/3を使いながらステージボトルを吸いながら来た区間を帰らなければいけない。それは無謀である。
1/3は必ず残して洞口までもどらなくてはいけないという絶対的な1/3ルール違反である。それでは計算したらよいではないかと頑として意見を突っぱねる。計算してみると10リッターx200気圧x2本=4000リッター、14リッターx200気圧x2本=5600リッター
合計9600リッターであるので、その1/3は3200リッターである。ステージボトルが1本空になるまで吸ってもう一本が800リッター、つまり80気圧になった時点が帰ってくる地点なのである。背中のWタンクを吸うのは帰り際なのである。そうするとさっき言った、ステージボトルが空になってもうちょっとだけいって帰ってくるというのは、間違いである。
この計算がこの時点でできていたのかどうかは知らないけれど、ここは天下の会長、一度いったことの間違いは認めないのである。困ったものだ。満タンのタンクがあるから安心だという。
私の計画はこうである。ステージボトルは1本のみ。そのステージボトルが1/3になった時点もしくはエアーが1/3になる前に奥に行ってもカーテンまででそれをライン上に置く。
カーテンもしくはそれよりステージボトルが1/3になった地点が手前であるならばそこにステージボトルを置き、そこからはじめて背中のWタンクを吸い始めそれが1/3吸った時点で引き返す。その時の残圧はよく吸っても140気圧とした。
奥に行っても289mからプラス70mまでで、70m伸ばした時点でまだ140気圧以上残圧に余裕があっても引き返す。そしてステージボトルのところまで戻りステージボトルを拾いそれを吸って帰ってくる。
計画どおりに行けば、ステージボトルの消費は2/3未満、背中のWタンクの消費も2/3未満である。すべてのタンクの残圧が1/3以上残る勘定になる。
万一ステージボトルを拾えなかったとしてもその時点で背中のWタンクには14リッターx90気圧x2本で2520リッター残っているので、行きにステージボトル吸った量は600気圧であるしどう考えても帰ってこれる。しかもそれはギリギリまで行きも帰りもギリギリまで吸った計算なので絶対大丈夫だ。
そんな計画はやめたほうがいいと加来氏がまくりたてる。ナンセンスだと佐藤会長がいう。 おいおいどっちがナンセンスやねん、意見は平行線をたどる。
重たく邪魔なステージボトルをずっともって奥に行くのですかというと、空になったら捨てればいい、財布だって3つ持っていって2つ使ってなくなってももうひとつがお金がいっぱいあったら安心だろう、後ろのタンクは常に満タンなんだから。とたとえ話で言ってきた。
重たい金庫を空になっても持って帰るのはしんどくないですか?と反論するがもうひとつの金庫が満タンだから安心だという。
関藤君の計画は帰りにステージボトルが拾えなかったらどうするのかという、拾えないわけないでしょう、行ったところを帰ってくるのですから。そもそも拾えなくても帰ってこれる十分なエアを背中のタンクに残して帰ってきますから。
ガリガリの手前なんかに置くとシルトが舞ってしまって見失うぞ、という。 そんなところには置きません、カーテンのところに置きますから否が応でも帰りに目に飛び込んできますよ。
やはり平行線である。
じゃあ、どうするんだ?松本さんは行くの?行かないの?はっきりしてよという。松本が困っていたので、私が、そんな感情面を無視したダイビングなんて出来るわけでしょ、計画はきっちり立てますけど、行けたらいくというスタンスですから。
何いってるの、計画が第一でそれで(奥に)行くか行かないかのどっちかだ。 完璧に対立した形になった。なんだか頭にきた。ケーブダイビングに対するスタンスが違いすぎる。
まあ、きみちゃんやめとけ、会長たちの計画じゃいかん、いかせられん。と私がいうと、納得した様子で、私も納得して入りたいからやめとくという。
橋口もいきたそうであったが、2本目の終了後に肩が痛いといいだし、減圧症かと思われるような症状がでたので、みんなから、橋口さんはトップダイバーは辞退せよと意見が来た。たぶんなれないビデオを持ったから、そして普段より深く長い潜水をしたので、気をもんだだけだと思うし、本人も言っていたがドップラー流量計がないので本当のことはわからない。
"人柄の矢北"と私が思ってる矢北氏がそっと近づいてきて、潜水計画については僕はなにもいわないよ、オウンリスクだから自分で決めるべきだし、でも対立するのはよくないよ、仲間なんだから。。。とやさしく話し掛けてくれた。フッと目を覚ましたように落ち着き、そりゃそうだ。さすが人柄の矢北さんである。矢北さんちのスタッフやお客さんは幸せものである。
でもね、橋口君は、やめておいたほうがいいんじゃないかな?それでなくても他の人たちから見れば無謀とも言えるダイビングなのだから、減圧症ではないかもしれないけど、減圧症かもしれないだろ?もし、もしもベンズなんかが今回起こったならばもう潜れないよ。安全が第一なんだから。。。
そうですね、わかりました。と矢北さんにペコリと頭を下げた。 なあ、はっちゃん、はっちゃん今回は残念やけどトップダイバーはあきらめてくれ、というと、これまた温厚なはっちゃんが素直にわかった、じゃあサポートに徹するよといってくれた。
会長、辞めときます。会長たちの計画は私たちには無理です。 オウンリスクで潜るケーブダイバーであるので、それぞれがこれがいいという計画があればそれはそれでいいのである。
お、そうかわかった、じゃあサポートしてくれるか? あちゃあ、女性ダイバーである松本が前人未踏部分に突入するのを取材したいと言っていた薮野氏の顔がちらつく。うーん松本がサポートか…
どうやねん、きみちゃんサポートでいいか?と聞くといややという。 よっしゃ!会長のそれをさりげなく?断り、頭の中では、今日潜った川嶋・松本チームでトップダイバーになって奥を目指すという思いが沸き立っていた。どうせなら楽しくしたい。そりゃそうだ。
川嶋さんと貴美ちゃんで奥に行くか?と松本にきくと、いけたら行くけどわからんよという。あーそうだったそうだった、そういうスタンスなんだよね。
あんたら二人をサポートに俺とはっちゃんでやるわ、ということになった。MBSの飯坂カメラマンもいたので、どうしたいですかと聞くと松本さんがケーブを進んでいる後ろ姿の映像は押さえたのですが前からの映像がないのでそれを撮りたいという。わかりました。私がサポートにつくので安心してついてきてください。俺もイントラの端くれである。
結局、佐藤・加来チームと川嶋・松本チームそれぞれが奥を目指すことになった。
よし、絶対大丈夫だ、エアーの持ちからいっても川嶋・松本チームが断然有利である。 そりゃどうせなら記録を打ち立てるのがうちからでるほうがうれしいに決まっている。
あとは、同じ船にのる佐藤・加来チームと川嶋・松本チームのどちらが先にエントリーするかということであった。どうせなら絶対あとの方がいい。先に行ったチームがラインを引いたその奥を行くのだから後のほうが有利である。
いつしか、同じ仲間どうしなのにライバル同士になっていた。加来氏に私たちの潜水計画を話し、申し訳ないけど、川嶋・松本チームで行きます、こういう計画で、こういう気持ちで行きますというと快諾してくれた。
わかった、そりゃそうだよね、そりゃ絶対別々で潜るほうがいいよ、とけっして崩さない笑顔で答えていた。でも、その計画だと俺もあなた達のチームでもぐるのはごめんだね。いやだね。とはっきりいう。さすがアメリカ在住うん十年。いわんでもいいこともはっきりいうねえ。松本の顔がみるみるゆがんできた。私も加来さんの計画で行くのはいやです!と女性特有の感情もろだしで反論したが、加来氏の笑顔は崩れなかった。
へー、加来さんって大人なんだな~と一人で感心していたのは、加来さんしらないでしょう?うふふ。 なんだか急に加来さんと潜りたくなってきたが、ま、いいか。
加来さんは、俺たちが先にエントリーさせてといってきたので、はいどうぞ、とすぐに返事をした。
私は、サポートに徹することになった。……夜が明けるまでは…。 夜、なかなか眠れなかった。 本当に大丈夫なんだろうか?なんだか俺が松本や川嶋氏に無理に言ってるんではないだろうか?もしこれで何かあったら取り返しのつかない事になったら、どうなるんだろう。帰ってこなかったら…恐ろしいことが頭の中を横切る。計画は大丈夫なんだろうか?いや、会長達の計画もほんとに大丈夫なんだろうか?あーは言ってても会長達ってトップにたつひとだから立場上無理をするんじゃなかろうか?無理はしちゃいかんのに。。。天下の会長の計画にも心配するという前人未踏の心配道まっしぐらである。
これはケーブダイビング前特有の心配である。 普通のダイビングの初心者でスキルに不安がある人もよく前日眠れなかったというけど、こんなものなのだろうな。
楽しみで眠れないというのは除いて… いや、計画は大丈夫だ。間違いない。今日も問題なく潜ったじゃないか、下見も完璧にこなせたじゃないか、大丈夫だ、大丈夫だ…
早く寝ようと試みた。 ……???
同部屋の川嶋氏の様子が変である。 ゴホン、ゴホン、ゲボゲボ、オエッ! ??? ???!! 大丈夫ですか? あーごめんごめん、ちょっとえずいちゃって迷惑かけたね。
いえいえ、大丈夫ですか…むにゃむにゃ… ……ゴホン、ゴホン、ゲボゲボ、オエッ!オエッ! ありゃ、まただよ、大丈夫かな~… 明日トライするのでストレスかなあ…
うーん。。。明日川嶋さんいけるのかなあ、なんだか無理っぽいなあ 明日川嶋さんがダメだったら、トップダイバーは俺かなあ…エアー消費早いんだけどなあ…
あーでも大丈夫だなあ、あの計画どおりに行けばどう考えても360mまではいけるよなあ もしダメでも親指だせば大丈夫だもんなあ… 寝ぼけながらもなるべくストレスをためないように、ひょっとして自分がトップダイバーになったとしても、安心できるような材料ばかりを考えて、ひたすら寝るように寝るように思いながら、いつの間にか いびきをガーガーかいていたようである。
朝、携帯のアラーム音とともに目覚めた。 開口一番川嶋氏が "絶不調だ"という、 その言葉とともにムクムクと、自分が行きたいという思いが体からすこし出てきた。
"そうですか、実はちょっとだけ、自分が(奥に)行きたいな~なんて考えがでてきたんです。 "じゃあ、関藤さんいきなよ、行きたいんだったら行きなよ、俺はほんとに絶不調だから"
"川嶋さんはいいの?行きたくないの?" "行きたいけど絶不調だし、関藤さんが行きたいなら全然かまわないよ" じゃあ 俺行きます。 自分自身この朝の調子はすこぶるいい。気分もなぜか晴れ晴れしている。
これならいけるんじゃないかな。 あとは松本の体調である。 食堂で松本に、"どない?よく寝れたか?"ときくとまぶたをぷくっと膨らませながら "爆睡"と答えていた。顔をみればわかったけど。
カメラマン飯坂さん、薮野さんに伝える。川嶋さんに代わって、僕が行くことになりました。 "そうですか!わかりました!"じゃあ、奥の映像を関藤さんがおさえてきてください"
むははは、了解でござる。前人未踏の洞窟部分の映像とそこに行く松本の映像は私がおさえましょう。とは口にはだして言わなかったがそんな思いであった。
カメラマンの飯坂氏のサポートに川嶋氏がつくことになった。 今回はじめてこのケーブでステージボトルを使うので、先日にステージボトルを使った会長に聞いてみた。
聞きたいのは、洞口付近、ステージボトルの浮力、装着の仕方であった。 洞口付近も問題なくステージボトルをつけたまま通れた。ただし付け方が体の前に持っていくと底や天井にひっかかって動けなくなるので、体の横側にすること、ステージボトルが1本でも浮力バランスは10リッターアルミタンクを使えば問題ない。
ふむー、さすが会長、的確に答えてくれた。ありがとうございます。時には素直さも重要である。 ガリガリも通れるぞ、といっていただいたが、そこをステージボトルを持って通過するつもりはないので、"はいー"と生返事をした。(してしまった。失礼しました)
しばらくして会長がなにやらゴソゴソと機材周辺で動き出した。 ???何するんだろう。
あ、関藤さん、スクーター今回使うの?使わないんだ、あ、そうかあ、いやあ俺のスクーターが調子悪くってねえ、 "どうぞ、使ってください。" ということになりどうやら佐藤・加来組みはスクーターを使って奥を目指すらしい。
悪夢が蘇った。前回調査で会長とバディを組み270mまで到達した帰りに、私の前で会長がスクーターでシルトを思いっきり撒き散らしながら帰っていったことを。フィンだけで必死になって会長ついて帰ってるのも関わらず、シルト地獄だ。ラインが見えない。あの死ぬような思いで帰ってきたことを。
しかも昨夜の加来氏との話で会長・加来チームが先に入ってそのあと関藤・松本チームが行くことになっていた。 げげげー そうなるとシルト地獄の中で奥を目指すのか?そんなのはまっぴらごめんでござる。ラインが見えなくて帰って来れないんじゃシャレにならん。
奥に行くより安全が第一であるぞーと自分に言い聞かせ、会長に、 "会長がスクーター使うのなら、俺たちは先組みにしてください。" と要望すると、
"ん?元々そうだろ?俺たちが後で関藤さん達があとだろ?"と。 どうやら会長はどうしても後組みになって俺たちが伸ばしたラインの先にちょびっとだけ行って帰ってくる気満々のようである様子。加来氏と打ち合わせをしてないのか聞いてないふりをしてるのかはわからないけど、この政治力というか戦略というかそういうやつで会長に勝つのはまさに"10年早い"のであった。
計画には自信があった。昨晩のあの計画で十分である。 行きは、ステージ140まで、場所は行けてもカーテン。そこに置き、Wに替えWの残圧140、行けても360mまで。単純で実にわかりやすい。
1/3ルールというのは、満タンから入って、行きは1/3、帰りは1/3、あとの1/3は必ず残すというルールであるので140気圧というと満タン190気圧としてそれを3で割りやすい数字180に変えて3で割る数字が60。始めの190気圧から60を引いて130気圧、それよりも10気圧も余分を残す数字である。帰りは60吸うので140から引いて80気圧残る。
もし、ステージボトルが拾えなくても十分に帰ってこれる残量がある。80気圧の14リッターW(ダブル)であるので10リッタ-タンクで計算すると224気圧だから満タン以上にあることになるから余裕は十分である。帰りはステージ吸って帰ってもいいし、背中のWを吸って帰ってきても大丈夫である。減圧をする残量も十分に残る。しかも減圧タンクは船から別につるしてある。サポートがいるのでもしも足らなくてもサポートに船との連絡をとってもらい追加のタンクを下ろしてもらうのである。
やっぱり会長達の計画が自分としてはまだ疑問である。どうやらステージボトルは一本で行くようである。 ステージボトルでどこまで吸うんですかともう一度聞くと空になるまで吸って、いや20気圧は残すけれど、満タンある後ろのタンクで奥に行って帰ってくるという。何気圧まで吸うのですかと聞くと150気圧ぐらいになったら帰ってくるという。ん?計算ができているのかな…
10リッターx190気圧として1900リッター、14リッターWの190気圧として5320リッター、合計すると7240リッター。7240リッターを3で割ると2413リッターであるので、10リッタ-タンクを20気圧まで吸うと190-20で170気圧だから10をかけて1700リッターであるので、
2413-1700=713リッター 713÷(14x2)=25、190-25で165気圧になったら帰ってこなければいけないジャン。計算できてないじゃない。とは言わないけれど
橋口氏が会長たちは180気圧ぐらいになったら帰ってこなけりゃいけないよというと、(たぶん満タン200で計算したんだろうね、安全の為に) そうだよ、180ぐらいで帰ってくるよと、突っぱねる。
後ろのタンクが満タンだから安心だろという。空になったタンクはいつでも捨てられるんだからという。ぼくには邪魔なステージボトルを持ちながら奥に行くのが大変だと思いますし、現実空になったタンクを持って帰るのは大変じゃないですか?とは言ったけど、何いってんですかさっきまで計算できてなかったのに。。。とは言いませんでした。はい。
まあ、いいよオウンリスクだから自分がいいと思った方法でやったらいいんじゃないの。 そりゃそうですね。 朝になってもやっぱり意見が噛み合わなかった。
自分の事は自分で決める。テックダイビングの鉄則である。 まあいいや、会長たちより俺たちはちょっと早く入るから、もし200mより奥のケーブ内ですれ違うときに会長たちはステージボトル持ってるんでしょう…
俺たちは身軽だし。。。 あとで考えると結局は同じ1/3ルールなのであるが捉え方が違うのであった。
いよいよ挑戦の時が来た。 気分的にもまったくストレスはなかった。バディは店で毎日顔をあわしてる松本だ。顔をみれば何を考えてるかすぐわかるし、ばれる。話すことはできない水中ではアイコンタクトは極めて重要な要素であるので安心だ。いや違った、松本は水中でもレギをくわえながらしゃべれるヤツだったんだ。キャーキャーワーワースゴイスゴイとそういえばいつもうるさい。
先にカメラマンの飯坂氏・そのサポートの川嶋氏がエントリーした。別のカメラが松本・関藤と捕らえてる。カメラはもう意識しなかった。密着取材に慣れたのか、ケーブのことに意識が集中していたからなのか。
俺たちのサポートに橋口がついてくれた。今回も結局はサポートだ、すまない…頑張ってくるからな、とまるでテレビドラマの主人公にでもなったのかと思うようで照れもありながらでもそう真剣に思った。
松本と一緒にWタンクを背負いエントリーし、水面でステージボトルをBCに装着した。水面でバデイチェックだ。エアーの漏れはないか、機材装備は完璧か、ステージボトルの装着はどうか、気分はどうかお互いに確認し、ステージボトルのバルブを開けそれを吸い、実際はオープンウォーターの講習の時にしかしない「OKですか?」「では潜降しますよ」のサインをきっちりお互いに出し合い潜降開始した。
久米島の透き通るような透明度のよい水を全身に感じ、気分は最高である。 こんな気分のいいダイビングはなかなかない。挑戦という大きい目標があったからかもしれない。
友寄氏が前もってわかりやすいようにロープを洞口まで張ってくれていたのでなんら無駄な時間を過ごすことなく洞口に降り立つ。 さあ、いよいよケーブに入る。気合は十分だ。しかも楽しい。
松本にOKかのサイン出すと、OKサインとOK OKと口で答えが返ってきた。 関藤・松本の順番でステージボトルを体の横にずらし問題なく洞口付近の狭い範囲を超える。ここでひっかかればサポートの橋口がうしろから来てくれることになっていた。問題がなかったのでOKサインを橋口におくる。
カバーンからケーブに入っていくと前に照明が見えた。飯坂氏と川嶋氏である。なにかポーズを決めないかんのかな?とも思いながら取材の主役は松本だったことを思い出し、知らん振りして通過した。川嶋氏に預けていた私が持っていくはずのビデオカメラを受け取り撮影を開始しいよいよさらに奥を目指す。双子岩地点にあっという間に来た。ステージボトルの残圧は160ちょっと切っている。余裕である。大ホールに来て松本を見ると楽しそうな声でOKと口で言っていたので、映像に松本を写さないといかんので前に行ってくれよと頼み、場所を交代して松本・関藤の順で奥を目指した。ペースも息もぴったりである。
以前稲積鍾乳洞で松本が先にいったときには、超スローペースで進んでいたので遅すぎるよと何度もサインを出した事があった。ドライスーツだっだのでおしっこが出来なかったからである。
今回はペースはばっちり。(ウエットスーツでもケーブ内では用をたしたことはないことは私は誓えます。今までは。) カーテンまで来た。残圧は150を少し切っていた程度、予想どおりである。"カーテンやなー"と松本が話し掛け、わかっとるわかっとるとOKサインをだし、スナップをラインにかけてステージボトルを置いた。そこから満タンのWタンクに切り替え、
いくで~とサイン "よっしゃー"と松本、二人とも気合は十分である,気合というより思いっきりファンダイブである。
いけいけー "カクの迷いゾーン"そしてガリガリ。松本がなんなく通過したところをばっちり映像におさえて次は俺だ。おなかをへこませ、やや手前から伸び上がるように通過、ありゃまやっぱりひっかかるやんか~と通過途中で前を見ると引っかかってる俺を見て松本がキャハハハと笑っていた。
なにをー!となんとか通過すると待ってくれていた松本がOKかと言ってきたのでOKを返し、さらに進む。残圧を見ると180を少し切ってるにすぎない。200m超えたのに。
240mプレートを1年ぶりに見てあまりのきれいさにびっくりしながらますます楽しくなってきた。松本は爆笑しながら進んでいる。あー!おったおった!新種のカニや!ビデオに撮り遠くからマクロになるまで寄る。まったくにげない。おお!やっと会えた!うわー!!カニを満喫すると、また奥を目指した。270m地点。昨年ここまで来たんだ。こんなに余裕で今はここまで来てるのに昨年はここが精一杯やったんやなあと気楽に考え、あともう少し、あと19mでラインが終わる、ラインが終わってる地点がそこにあるんや。289m地点に来た。よっしゃー わははははー、二人で顔を見合わせ余裕余裕と70mのラインが残ってるリールを取り出し、289m地点でタイオフ。
ここから先が誰もいまだかつて誰もいったことのない未踏部分なのである。 タイオフし1mほどラインを伸ばすとそこに来た証拠である松本・関藤の名前入りのラインアローをくくりつけた。それをビデオで撮り、さあ、いくぞー、いけー! もう気分はのりのりであった。残圧にまだ余裕はあった。これならもっといけるんじゃないかとも思ったが、計画は計画70m行ったら帰ってこよう。ラインを伸ばしながら20mほどいくと行き止まりだ。左にすーっと底が深みにむかっている。ん?アレレ?と松本が首をかしげる。深みは2mほどで行き止まりになっていた。右を見る、左をみる、上をみる。どこも壁である。
おお?あれえ?進路がないぞ???ひょっとして ひょっとする? うおーっやったー、ゴールやゴールや これ以上いけない地点にきたぞー やったー わーい!!!タイオフしろー ラインアローつけよう!
とついにたどり着いたゴール地点でふたりで大騒ぎしていた。やったー!! ん?あれ? 喜びはほんの数秒であった。ゴールというのは間違いであった。ぬか喜びであった。右の奥をみると暗がりがある。
あれあれ~? いってみー(行ってみたら) なんやーまだ奥あるやん~ ありゃあ、まあええ、まあええ、いけいけー! 松本がラインを伸ばしてる後ろで カーブごとに、帰りのラインが見えやすいようにしながらタイオフしていった。
やっほー あるあるーまだいけー 残圧は160を少し切ったぐらいであった。 うわー すげー あははははー こんなに楽しいものはない。どんどん距離が伸びるのである。
いけー 仕事もちゃんとある。 タイオフ タイオフ ラインアロー ラインアロー 映像・映像。。。。。 松本の奥に行ったときの映像がほしいと取材班から言われていたので、むはははは、大丈夫よん ちゃんとおさえるよん、とてもとてもそれは気楽である。
他には進路はないか確認しながら松本はきちんと本洞を突き進んでいた。
あ、終わったあ リール終わったあ、あと50cmでタイオフできるような石筍があったけど、届かない。しゃあない しゃあない 1mほど戻った石筍に最終タイオフをし、リールとラインを切り離した。残圧は150とちょっとである。
わははは ついにきたなー 松本は私は残圧165ほどあるからまだ行く?という。俺はよく行ってあと7、80mは、こやつはあと150m近く伸ばせるまだ余裕はあるんじゃないかと頭を過ぎったけれど、まあ 計画や。計画どおりや。やめとこやめとこ 帰ろ かえろ すこしだけ奥をみてちょっとずつ浅くなってるような底があったので、それと松本の満面の笑顔をビデオにおさめ帰路についた。
やったなー おおー わははははー おいきみちゃん あんた前にいけ、俺あんたの映像とらなあかんのや、あとは会長らやなー まあここまではよー来んやろ なあなあ,さっきのタイオフした石筍ってエッチな形してたなあ と松本がスレートに書いていた。
こらあ 絵を書くな書くな。 最終タイオフした石筍がどうやら男性のそれに似ていたようだ。こいつもしかし、こんな300m以上も奥でそんなこと言えるもんやわ。
こいつあほちゃうかあと思いながらあの石筍をせきちん岩にしようかなとたくらんでいた。俺も俺である。 爆笑しながら、"ぬか喜び"地点まで帰ってもどってくると、水中ライトの明かりがみえた。会長・加来チームである。うわあ、きたんやあ、おーい、あははは、会長らがきたでー ほらほらあ あーほんまやー わははは 完全なハイテンションである私達は無敵である。
近づき、先頭が加来氏、うしろが会長であった。OKサインを出し合い、確認すると、あれれ二人ともステージボトル持ってないやんか 会長は重たそうにモーターを回さずにスクーターを持っている。
ということは、げげー相当シルトまきながらここまできはったんとちがうやろか?帰りが心配である。くやしいから奥に行ってほしくないし、重たそうなスクーターを持っていくのは大変だろうしと言う意味で会長を指差し、親ゆびサインをだしてみた。会長 帰ったら?のサインである。すると会長は私の吸ってるレギを引っ張りゆさぶる。堪忍してくださいー ここはたいへん奥なんですよーと 顔をみたら笑っていた。健闘を祈りあいながらそのまますれ違い私達は洞口へ、会長たちは奥にすすんだ。
プレートを過ぎたあたりから、シルト地獄である。やられたあ、どうやらスクーターで撒き散らしたみたいで視界がどんどんなくなっていき透明度50cmぐらいになってきた。勘弁してよーと思いながらラインをさわりながら手探りで戻っていった。
とほほのほー ライトが目の前を舞う沈殿物を照らし視界が20cmぐらいになっただろうか、ふと前をみると、ガリガリである。おお、ここまで帰ってきたのね~とわかりやっとの思いでガリガリを抜けた。
のちに奥に向かってにガリガリ超えてから240m付近までは加来氏・佐藤会長をもじって 加来佐藤(かくざとう)(角砂糖)の舞と名付けた。舞はシルトを撒き散らした犯人の様子から想像してそうつけた。
ガリガリを抜け視界が開けるとタンクがあった。あれれ?だれのかな? 会長・加来氏のものである。 まったく。。。。。 さんざん昨日は、ステージボトルは奥に絶対持って行くだの、ステージボトルを置いていたら帰りは拾えないだの、ナンセンスな計画だのさんざん行っていたのに!あげくのはてにはガリガリの手前なんかにおくと影になって見えないぞと言っていたのにそこに自分が置いてるヤンか!
人をさんざん馬鹿にして、ほんとむかつく!と思ったけれどタンクを隠そうとは思いませんでしたよもちろん。 何やねんなあ ここに置いてるやんなあと松本と言い合い、洞口へ向かった。"加来の迷い"カーテンはもうすぐだ。
ほらね、ちゃんとあるじゃない、ステージボトル、なくなるわけないねん、ちゃんとくくってるし。と会長に聞こえるように頭の中だけで叫びながらステージボトルを装着し、Wタンクの残圧を確認すると100と少し残っていた。80気圧残したら十分なのに、そもそもステージボトルも140以上きちんと残っていた。十分過ぎるほどの残量である。計画はばっちりである。松本はそれ以上にあまっているのでゆっくり楽しみながら帰っても大丈夫だ。
あーもうちょっと奥にいったらよかったかなとこのとき少し思った。ステージボトルを装着すると今まで置いていたそのタンクの周りにリュウグウモエビが群がっていた。人の気配というか、タンクなんかについてる細かい何かがえさになるのかどうかは自分がエビになっていないのでわからないけれど、そう想像できた。体調1cm程度のものから20cmぐらいありそうな大きなヤツもいた。もちろんはじめからずっとビデオはまわしっぱなしだったのできちんと撮った。
アップにもしたりした。しかしこのビデオはおもしろいだろうな、ふたりでべらべらキャーキャー騒ぎながら進んでいく音と映像、一番奥に行ったときの松本の表情と声、未踏部分に突入する様子、新種のカニのまわりから徐々によってアップで写す様子、リュウグウモエビの群れ、いっぱい撮ってた。いいビデオになる。自分たちにも記念のビデオになる。これがTV放送される。最高のビデオである。
あっちこっちきょろきょろ見物しながら、洞口を目指す。 徐々に天井が低くなり外の明かりが見えた。
あーもう帰ってきてしまったんだな。。。 んん?何かおかしいぞ。 今まで帰って来たときには あー帰ってきたんだ、よかった。と思っていたけど 今回はもう帰ってきてしまったのかと今までと反対の思いがでていた。
それほど面白かったのだ。それほど最高のダイビングであった。 だからといってずっと留まるわけには行かないので洞口から外にでた。 コンピュータを見ると-12mからの減圧指示である。まだまだ水面は遠い。
松本もたいそう喜んでいる。 なんせ360mである! 前回から100m近くのびたんだ。すごいよ、やったよ!!二人でそれはそれは相当喜んだ。 初の日本人女性のケーブダイバーが最も奥までいったんだ、すごいぞ!その取材の為にケーブの講習までして来てくれたMBS取材班もよろこんでくれるに違いない。
減圧中、取材班の飯坂ケーブダイバーカメラマンが水中カメラをもって来たので空のリールを自慢げに掲げ360mとスレートに書いた。 "提供 なみよいくじら"とも書いてカメラに向かってちょっと宣伝もしてみた。ここ放送で使ってね。
-12mで8分、-9m15分 -6mで25分 -3mで48分でやっと浮上できるという気の遠くなりそうな長時間の減圧である。本当はナイトロックス80%を減圧タンクに使っていたのでその半分ぐらいの時間でいいんだけれど、酸素を吸って悪くなることは酸素中毒以外はないから空気ガスで減圧する時間そのままEAN80でやっていた。
減圧中、会長・加来チームが戻ってきた。どうだったの?ゼスチャーできくと、顔は笑ってる。どうだ、やっとぞという顔であった。うわあ でたー、自慢の顔だあと驚きながら、気になる到達距離を聞いてみた。3・8・3。なぬ?383m!わちゃあやられたあ…絶対無理だと思っていたが、ダイビングのよくもわるくも親玉的存在であるので、私たちには負けられないんでしょうか、あーくやし。
でも、減圧中の松本に駆け寄り、いの一番に松本の残圧を見ていたのは知ってるよー。 松本はめちゃめちゃ多く残ってたでしょ?あとで聞いたら引き返す地点ではステージは空でWタンクは145気圧ぐらいだったんでしょ?やばくない~??やばいよー。
それともうひとつ、我々が減圧中、船の上は大騒ぎであったらしい。 中の様子を撮ったビデオを減圧中にサポート隊に渡していたのだが、どうやらスイッチがビデオモードでなくスチールカメラモードになっていたようだった。つまり、つまり、映像は何も撮れていなかったのだ!
前人未踏の大偉業と史上最高の大チョンボを同時にやってしまった私はよろこびとショックでやはり笑うしかなかった。
1時間半以上という気の遠くなるような減圧時間中、小を少々したことは白状しておきます。 減圧と用を終え礼儀正しい私と松本はそれぞれ自分のウエットスーツの中に水をじゃぶじゃぶ入れて洗ってから船に上がった。
会長たちはナイトロックスでの減圧時間の計算をしていたので私たちより早く船に戻っていた。
記録としては最長到達距離383m佐藤・加来両氏 次点360m松本・関藤であった。 なんですってー 会長!加来さん!(もっと奥に)行ったのー?
返答はわははははの連続であったので、自分も楽しくなってきてもうどっちが勝ったとか負けたとかどうでもよくなったきた。 だけど面白かった、なあ きみちゃん。松本も大満足の様子。
しかし、これだけは言った。 何ですの、あれだけステージボトルをずっと持って行くっていっといて、人のことはナンセンスだのどうのとかいっといてきっちり置いてたじゃないですか!しかもガリガリの手前で!
返事はやはり わはははははははは。。。。。 まったく困ったエライさんどもである。
でも面白かった。ほんとにおもしろかった。 会長も加来さんも松本も橋口も飯坂さんも薮野さんも助手のごうちゃんも川嶋さんも友寄さんもそして私もみんな笑っていた。
なんだかんだ言っても結局みんなヒデンチガマが好きなのである。
結局みんなケーブダイビングが大好きなのである。
文章 関藤 博史
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